岩登りを楽しむ紅葉の妙義山へ



恐怖心とわくわく感!自然のアスレチックを楽しむ。

初めての妙義山。上信越道から見えるギザギザの山が妙義山である。山の中腹あたりに白の「大」の字。これは江戸時代に、妙義神社の妙義大権現を省略して「大」と掲げたそうである。神社にお参りできない方が大の字に手を合わせお参りできるというものだったらしい。
今回は、「道の駅みょうぎ」に車を停め、妙義神社からスタートした。
表妙義は、白雲山、金洞山一帯を指す。全山縦走される登山者も多いそうだが、私たちは初めてなので白雲山の周回を行った。
まず目指すところは、「大の字」だ。最初から急な登りとなり、ぐんぐんと標高を上げていく。森の中は木々が赤や黄色に紅葉し心を和ませてくれる。鎖が現れた。さてここからが妙義のアクレチックの始まりだ。
長い鎖が一本、急な斜面に垂れている。岩には足を乗せられるステップらしき窪みがあるので、そこに足を乗せて鎖をぐいっと両手で引っ張れば、さほど難しくなく上に進むことができる。大の字の看板は尖った岩の上に設置されているが、最後の登りは垂直の壁を登る感じで少しだけ怖いが、短いので大丈夫。
大の字の看板の前で記念撮影。しかし、下を見ると断崖絶壁。ぶるっと震えるも、遠くの景色は絵に描いたような素晴らしい紅葉が広がる。しばし休憩後、歩を進める。
しばらく登ると「辻」という場所に着いた。ここから先は「キケン上級コース」と書いてある。一抹の不安を抱きながら進む。鎖場を通過し、急な登りの先に見えたのは洞窟のような穴。中には鉄の階段があり空間が広がっている。ここが妙義神社の「奥の院」だ。
大きな岩の間にできた隙間を利用して作られた祠に神様が宿る。石像が立ち並ぶその上からは、岩と岩の間から陽が差し込みご神体を照らす。なんとも神々しい空間。ほっと息をつくと、次々と登山者たちがやってきた。
その先には30mくらいはあるであろう長い鎖場が待っていた。鎖の先を行く登山者が見えなくなる。「どうぞー!」の声を合図に、スタートする。垂直の壁を鎖を頼りに一歩一歩上に進む。ステップはあったり無かったり。上腕の筋肉がフル稼働する。
登った先は景色が広がる「見晴」というポイント。スタートした「道の駅みょうぎ」の駐車場まで綺麗に見える。荒々しい山容にオレンジ色と緑の色彩が映える。その先は稜線なので、楽に歩けるかと思いきや、さらなる難関が待っていた。
大きな岩を乗り越えなくてはならないが、ステップがない。少しの窪みに足を入れ、上腕を使ってよじ登る。急斜面の鎖場でなくとも一つひとつがハードルの高い難所ばかりだ。思ったように進まず、時間ばかりが経っていく。
やっとの思いで登った「ビビリ岩」を越えた先、今度は急斜面を鎖で下る。登ったかと思ったら今度は下る。「背ビレ岩」は両側が切れ落ちた急な痩せ尾根だ。鎖も足場も確実にあるが、高度感があって怖い。
「大のぞき」を越えてたどり着いたのは「天狗岳」。地味なピークだが、ひとまずここまで来くるこができて一安心。あとは下って下山道に入る。
その先の相馬岳が妙義山で一番標高の高いピーク。いわゆる妙義山と言えばこの相馬岳を指す。時間も押しているので、今日は行かずにタルワキ沢に向かう下山ルートを行く。この道はザレて歩きにくいが上の方は紅葉が綺麗だ。落ち葉の中をサクサクと歩くと、黄色に染まった木々が広がる。あとはゆっくりと転ばないように戻るだけだ。
登ったり下ったり、アップダウンの激しい妙義山。信仰の山として知られ、古来より修験者たちが歩いてきた。いま、その険しい道を私たちは歩いている。同じ岩を踏み、同じ景色を見ていることを考えると何か不思議な気持ちになる。
スポーツとは違う登山は、自分自身の心と身体を試す行為なのかもしれない。難しい箇所を何度も何度も乗り越えなければ、先に進めず終わってしまう。それは人生そのものだ。険しい山だからこそ、乗り越える意味は深いのだと思った。







































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